» 千代田区のブログ記事

 

重厚な雰囲気を漂わせる国の有形文化財

 

1886年に東京大学が総合大学としての「帝国大学」へと改組改称され、教授に対する謝恩会を開いたのを機に「学士会」が形成されました。この学士会は、後に旧帝国大学出身者(現在は、東京大学、北海道大学、東北大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の国立7大学出身者)の交流を深める会へと発展しました。

この学士会が会場として創建したのが学士会館です。建設されたのは1928年のことで、1937年に5階建ての新館が増築されました。第二次世界大戦後は、連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、高級将校の宿舎や倶楽部として使用されました。返還されたのは1956年のことでした。

建築に携わった中心人物は日本の耐震工学の先駆者、佐野利器氏、設計者は彼の門下生で、日本橋高島屋や帝国ホテル新館を手がけた高橋貞太郎氏です。重厚な様相を漂わせる建造物は、一般の利用が可能となり、国の有形文化財に登録された今でも、宿泊や結婚式などさまざまな用途で利用されています。

 

 

出展:http://www.emachi.co.jp/location/loca_detail.php?dr_id=d200907_kanryou&lc_id=27

 

日本伝統芸能の中心地として利用される3つの劇場

 

日本の伝統芸能を上演し、伝承者の育成も行う劇場。独立行政法人の日本芸術文化振興会が運営しています。歌舞伎、日本舞踊、演劇を行う大劇場と文楽、邦楽、雅楽、日本舞踊(小規模公演)、声明、民俗芸能を演じる小劇場、そして、落語、漫才などが行われる演芸場という3つの劇場で構成されています。

国立劇場の設置は、第二次世界大戦後に文化財保護委員会に設置された芸術施設調査研究協議会の答申によって具体化しました。設計についてはコンペが行われ、竹中工務店の岩本博行の案に決定しました。

これは奈良の正倉院を想起させる校倉造りを模した外観を採用しており、シンプルながら存在感のあるデザインです。

大劇場と小劇場を有する国立劇場本館は1966年に、国立演芸場は1979に開場し、それ以来、日本の伝統芸能の中心地として長年愛され続けています。

 

出展:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:National_Theater_Tokyo01bs3200.jpg

古典主義様式で彩られた明治安田生命の本社屋

 

様式建築の名手と称される岡田信一郎・捷五郎(兄弟)が設計に携わった、コリント式列柱を採用するなどの古典主義様式に則ったデザインの建造物。業務の拡大に伴う新社屋の建設計画によって1934年に竣工しました。

第二次世界大戦後は、GHQ(連合軍最高司令官総司令部)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用されました。また、対日理事会の第1回会議は、2階の会議室で行われました。1956年にアメリカ軍より返還。

2001年から行なわれた改修工事で、隣接地に30階建ての明治安田生命ビルを建設して一体的に使用することで、歴史的建造物の活用と保存を行なっています。昭和に建てられた建造物としては、日本で初めて重要文化財の指定を受け、現在も明治安田生命の本社屋として利用されています。

 

出展:http://plaza.rakuten.co.jp/hotstuff1976/diary/201207030000/

 

都市空間としての東京の美しさを見せる眺望

 

神田川をまたいで湯島聖堂と日本ハリストス正教会復活大聖堂(ニコライ堂)というふたつの聖堂をつなぐことから名付けられた、鉄筋コンクリートのアーチ橋。関東大震災復興の一環として区画整理に伴って架けられた御茶の水周辺のシンボル的な存在として知られています。

日本武道館や京都タワーを設計した山田守が手がけており、船から見上げたときに最も美しく見えるようにデザインされています。御茶の水駅のホームからは、それに近い角度から眺めることができます。また夜間にはライトアップされた美しい様子を楽しむこともできます。

神田川の景観と見事に溶け込んでおり、東京という都市の美しい景観として、さまざまなメディアに取り上げられています。

 

出展:http://4travel.jp/dm_travelogue_each-10168745.html

 

美術館運営に変革をもたらした日本初の国立美術館

 

明治時代後半から現代までの近現代美術作品を常設展示した日本初の国立美術館。それまでの美術館は企画展などで「借り物作品」の展示を行うのが一般的でしたが、この美術館は「美術館による美術品の収集」を日本で初めて行ったことで、美術館運営に変革をもたらしました。

本館とフィルムセンター、工芸館から構成されており、それぞれが重要文化財を収蔵しています。本館の収蔵品は絵画、彫刻、写真など約9000点に及びます。フィルムセンターは4万本以上の映画フィルム、工芸館は、染織、ガラス、陶磁、漆工などの作品を約2400点収蔵しています。

また本館と同じ北の丸公園にある工芸館は、大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎を改修したもので、建物自体が重要文化財に指定されています。二階建て煉瓦造りのゴシック様式が採用され、明治に建てられた洋風煉瓦造りとしては、数少ない現存する建造物です。

 

出展:http://itot.ne.jp/hanzomon/wp-content/uploads/2011/10/84716_23-01banchou.jpg

外国からの賓客をもてなした日本を代表するホテル

 

1890年開業。隣接していた鹿鳴館と密接な関連を持たせたホテルとして、井上馨が渋沢栄一や大倉喜八郎らを説得して建設させた由緒正しいホテル。現在は、第一新館、第二新館、新本館、インペリアルタワーの四つの建物によって構成されています。

その歴史や行き届いたサービスから日本を代表するホテルとして認知されています。そもそも成り立ちが外国からの賓客をもてなすことに重きが置かれていたため、日本で初めて、館内に洗濯施設を取り入れてクリーニングサービスを行ったことが知られています。このサービスは現在でも定評があり、損傷、紛失の可能性があるボタンについては、あらかじめ取り外してからクリーニングするという手法で、多くの外国人を驚かせたという話は有名です。

またブッフェスタイルの食事を日本で初めて採用したホテルでもあります。

 

出展:http://www.imperialhotel.co.jp/j/

 

明治時代から建設が計画されていた政治の中枢施設

 

現在の国会議事堂は、1881年に明治天皇から発せられた「国会開設の詔」を機に建設計画が始まりました。ドイツ帝国から建築家を招聘するなどの紆余曲折の末、1918年に新議事堂のデザインが一般公募され、その当選案を参考にして1920年に原敬内閣総理大臣が参列して、新議事堂の建設が始まりました。

その後、関東大震災や作業員の火の不始末による火災、二・二六事件の永田町占拠などをくぐりぬけ、完成に至ったのは着工から17年を経た1936年のことでした。

鉄骨鉄筋コンクリート造りを採用し、中央塔が4階建て。そのほかの大部分が3階建てとなっており、中央塔の最上部まで含めると9階建てに相当する高さとなっています。

外装は3種類の花崗岩を使った石積みで、内装には大理石をはじめ、日本全国から取り寄せられた石が使われています。外装に多く使われているのが広島県から取り寄せられた桜色をした御影石で、議事堂に使用されたことから「議院石」と呼ばれています。

第二次世界大戦後に日本国憲法が制定されると、国会が国権の最高機関と位置付けられたことで、国会議事堂はその権威を象徴する施設となりました。それに伴い、議事堂周辺の民有地が次々に買収され、現在の国会議事堂の周囲は国会や政党関係の施設が立ち並ぶ日本の政治の中枢となっています。

 

出展:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Diet_of_Japan_Kokkai_2009.jpg

江戸の文化を紹介する昭和初期の木造建築物

江戸時代から神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家が昭和初期に建てた店舗併用住宅である神田の家。伝統技術をしっかりと受け継いできた職人たちが銘木を使って作り上げた都心部の貴重な木造建築物です。幸いなことに東京大空襲でも被害を受けることはありませんでした。

建築当初は平屋建てでしたが、何度か増築、移築が行われ、現在のものは2008年に府中市から神田宮本公園に再移築されたときに内装などに手が加えられたものです。といっても内装などは昭和初期の頃の店舗用の状態に復元しています。

神田明神の氏子総代で生粋の江戸っ子だった遠藤家の「子供たちが日本文化にふれる場所にしたい」という意志を受け継いだ形で、江戸文化や伝統行事の紹介、そしてさまざまな講座などにも使用されています。

 

出展:http://kandanoie.com/images_what/kochizu.jpg

ニコライ堂

緑色のドームと鐘楼が映える御茶の水のシンボル

正式名称は「日本ハリストス正教会復活大聖堂」。1891年にミハイル・シチュールポフの原設計とコンドル博士の実施設計によって完成しました。1923年に発生した関東大震災によって、鐘楼が倒壊して多くの部分を消失してしまいましたが、1929年には岡田信一郎の設計によって修復と補修が完成して、再びその美しい様相を目にすることができるようになりました。1990年代にも補強などの修復工事が行われ、現在に至ります。

日本で初めてのビザンチン様式の教会建築といわれ、緑色のドームと鐘楼は人々の目を引きつけ、御茶ノ水のシンボルともいえる建築物です。

土日を含め、毎日礼拝が行われており、結婚式などのイベントが行われることもあります。平日の午後に拝観することが可能で、見学料は300円。

出展:http://maskweb.jp/photo/chiyoda2/nicorai1_0212.jpg

東京駅

一大タウンとして大きな変貌を遂げた東京駅

東京の「顔」のひとつとして多くの人々に親しまれている東京駅。辰野金吾による設計で開業したのは1914年のことでした。太平洋戦争末期の1945年の東京大空襲によって、そのほとんどが失われましたが、1947年にかけて行われた修復工事によって、ほぼ現在の形となりました。

ただ、この修復工事は、応急処置的なものとして行われ、数年で本格的に修復される予定でしたが、そのまま60年あまりが経つことになってしまいました。2007年になって、ようやく建築当初の赤レンガ駅舎に復元する工事が開始され、2階建てから建築当初の3階建てへとなり、南北ドームも丸形に変更されて2012年10月に完成しました。大地震にも耐え得る免震工法を採用しており、安全に配慮した復元工事となっています。

この工事に伴って、大丸東京店の改装や駅内の商業エリアの拡充が行われ、周辺は一大タウンに進化。日本の玄関口として大きな魅力を湛えています。

 

出典:http://www.gotokyo.org/jp/tourists/topics_event/topics/120918/images/main.jpg

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